保護者全体会

今日は、2学期初めの保護者全体会が行われました。

お忙しい中ご参加くださりありがとうございました。行事の多い2学期。子どもたちの成長も大きい2学期。友だちとの関わりもぐんと深まる2学期。

一人ひとりが見せてくれる姿をしっかり見ながら歩みを進めていきたいと思います。保護者の皆さまもどうぞ同じ方向を向いて歩みを進めてください。

よろしくお願いいたします。

本日の保護者全体会の中でお話させていただいたお話です。

この夏、幼稚園ではたくさんのカブトムシが生まれました。幼稚園で卵を産んでから4年になります。

39個の卵が幼虫になり、最終的に成虫になったのは半分くらいだったでしょうか。幼虫のうちに死んでしまったもの、さなぎの途中で死んでしまったもの、成虫になる過程で死んでしまったもの。様々です。子どもたちもそのひとつひとつと向き合ってきました。それが飼うということのひとつです。

ダンゴムシが死んでいるのを見て、「またとればいいから」。そのように思うことが当たり前の世の中になっています。命は、虫も人間も関係ありません。楽しみの中に喜びの中に死というものがあること。詳しい説明はいりません。そのことに向き合うことのできる子どもたちになって欲しいと願います。

さて、夏を象徴する虫といえば、カブトムシの他に何が挙げられるでしょうか?・・・そうです。セミですね。

皆さんはセミの一生をご存知ですか?カブトムシは6月~7月に卵を産み、その1ヶ月後には幼虫となっていきます。その後、約1年をかけて、また成虫へとなっていくのです。成虫は1ヶ月ほどで死んでしまいます。

一方、セミは5年から6年土の中で過ごし、その後土から木に登り殻を脱いでセミとなるのです。その後はメスは卵を産み、オス、ともに2週間ほどで死んでしまうのです。種類によっては13年もの間土の中にいて、やっと成虫になるセミもいるようです。なみに東京には主にアブラゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ、ツクツクボウシがいますね。関西に多くいるのはクマゼミです。

ツクツクボウシが鳴くと夏も終わりですよ。という合図でもあります。

話を戻します。

5年から6年かけてようやくセミになっても2週間程で死んでしまうのです。

セミは、土の中から幼虫が出てくるので土に卵を産むと思っている方も多いかもしれませんが、木に卵を産み付け、卵からかえると土に潜っていくんです。知っていましたか?

そんなセミに今、大変なことが起きています。

公園にいくと抜け殻を沢山目にしますね。そして、地面には幼虫が出てくるときにほった穴が沢山ありますね。

セミは夜に土からでてきて朝を迎えるまでに成虫になります。これは、夜見えないときに敵に襲われないうちに成虫となり、見えるときには逃げることができるようにするためだそうです。

それは余談ですが、

現在、公園(特に区や市が管理する公園)にはたくさんの遊具があり、その一つひとつに子どもたちの安全を第一に、ということから遊具の下一面に網目状のクッション性のものが貼られるようになりました。みなさんもそのような場所を見る機会が多くなってきたのではないでしょうか。親にとっては安全、安心なことですね。

ではその結果、その下ではどのようなことが起きているのでしょう。

想像はできますね、土から出れない幼虫たちがいっぱいいるのです。下を見るとぎりぎりのところで上を見上げているのです。1匹、2匹ではありません。まるで「ここからだしてー!」と言っているようにです。異様な光景にさえ見えます。剥がそうと思っても杭でしっかりとめられているのでできません。

ここからは一つの考えです。

子どもの安全を第一に考えることは大切なことです。実際に公園での事故やケガも多くなっていますからね。

しかし、こうはできないでしょうか。

子どもが公園で過ごすのは、当然朝やお昼の明るい時です。その時間には敷く。夕方には取り外す。自治体や区で行うことも出来ると思います。当然、敷かれているのは管理されている公園が多いということからです。

この話を通して何をお伝えしたいかというと、子どもたちにも当てはまるところがあるのではないかということです。

大人は先のことを考えて、声をかけ、予防をしたりします。当然なことです。ただ、ここを主にしてしまうと経験ということがどんどん少なくなっていきます。危ないことは想像はできます。そこをしっかり親が大人が見ることが求められます。見るというのはそこにいるということです。実際には、親がスマートホンを見ていたり、話をしている時に起きる事故やケガが多いのです。幼児期の子どもたちの成長には経験ということが必要不可欠です。子どもたちの芽が出ようとしているときに抑えてしまったり、つんでしまっていることがあるのではないでしょうか。このでれないセミの幼虫のように・・・。

行動しようとするということはそこに子どもたちは危ないとか考えることよりもやりたい、やってみたいという気持ちの方が優先しているからです。

 

例えば、教会に来た時に、子どもたちはなかなかおうちの方のそばでじっとしていることは難しいですよね。しかし、幼稚園ではその時間じっと心を向けているのです。ですので、教会の時、私たちは特に声をかけません。では、どうしておうちの方だとできないのでしょうか?それは、安心しているからなんです。安心している子どもの姿なんです。お帰りにわがままを言ってなかなか帰ろうとしない。というのも同じです。

幼稚園でできるのは、親との安心ではなく、生活の中での習慣として身に付いているからです。

礼拝の時に大きな声を出しながらドタドタ走り回っているわけではありませんよね。邪魔になっているわけでもありませんよね。

お家の人のすぐそばで変な顔をしてみたり、子どもたちなりに声を小さくしながらちょっと座らなかったり、ちょっとうろうろしているだけではないでしょうか。

ここで、「じっとしていなさい。」「しずかに。」と言うはシートをかぶせてしまうことなんです。やめないんです。安心しているのですから。

終わった時に「お話一緒にきけたね。」という方へ気持ちを向けることがかぶせないことなのです。

この積み重ねが今後の子どもたちの姿の変化につながっていくのです。そう私たち教師は信じています。

 

今年も35匹の幼虫が生まれています。これからともに生きていきたいと思います。